仕事で作った機能に不具合があり、使いにくいと言われる。思っていたほど使われない。そんな結果を見ると、完成までに手を変え品を変えてきたことまで、すべて無駄だったように感じてしまうことがあります。
健康についても同じでした。筋トレや食生活にある程度気を付け、禁煙もしてきました。それでも、病名は書きませんが、手術が必要な状態になりました。「こんな結果になるなら、健康に気を付けてきた意味はあったのか」と考えました。
いまは、悪い結果が出たときに、それまでの行動までまとめて「意味がなかった」と決めないように気を付けています。結果への執着をなくせたわけではありません。まずは目の前にある問題や課題へ意識を戻す。それが現在のやり方です。
使われなかった機能を見ると、作った過程まで否定したくなる
機能を作る間は、一度決めた方法だけで進めるとは限りません。うまくいかない部分があれば、手を変え品を変えて完成まで持っていきます。
それでも、公開後に不具合が出たり、使いにくいと言われたり、想定ほど使われなかったりすることはあります。そのとき、結果だけを見ると「作った意味がなかった」と考えてしまいます。
不具合や利用状況は、直視しなければならない結果です。使いにくいなら直す必要があるし、使われないなら、なぜ想定と違ったのかを確認する必要があります。
ただ、そこで過去の行動まで全部否定すると、次に見るべき問題から離れてしまいます。私は、結果が悪かったことと、そこまでの取り組みがすべて無意味だったことを同じにしないようにしています。
健康に気を付けても、手術が必要になった
この考え方を強く意識したのは、仕事だけが理由ではありません。
筋トレをし、食生活にもある程度気を付け、禁煙もしました。それでも病気になり、手術が必要だと分かりました。気を付けてきた分、「結局こうなるなら、今までやってきたことに意味はあったのか」という気持ちが出ました。
これまでの行動が病気にどう影響したのかは、私には判断できません。健康に気を付けていたから何かを防げたとも、すべて無意味だったとも言い切れません。分かっているのは、手術が必要になったという現在の結果だけです。
その結果から、過去の筋トレ、食生活、禁煙まで一度に否定しても、いま必要な対応は変わりません。そう考え、目の前の状態と、これから何をするかへ意識を戻すようにしています。
「意味がなかった」まで考えを広げない
結果に執着すると、一つの失敗から過去全体へ考えが広がります。
- 使われなかったから、作った時間は全部無駄だった
- 不具合が出たから、工夫してきたことにも価値がなかった
- 手術が必要になったから、健康に気を付けた意味はなかった
いま意識しているのは、この「全部無駄だった」まで広げないことです。仕事なら、現在の問題は不具合なのか、使いにくさなのか、利用機会の少なさなのかを見る。健康なら、いま必要な治療や対応へ意識を戻す。
過去の意味を確定させようとするより、目の前の問題と課題を分けたほうが、次に考えることが見えます。私が仕事で問題をどう捉えているかは、現状と理想のギャップから課題を整理した記事にも書いています。
モヤモヤはまだ残っている
この考え方に変えたから、悪い結果を気にしなくなったわけではありません。「意味がなかったのでは」と同じことをくどくど考えることもあります。
考え始めたときに、うまく止める方法はまだ見つかっていません。結果へ執着しないように気を付け、目の前の課題へ戻るのは、その前段階です。
結果は、問題を見つけて次の行動を考えるために必要です。ただ、その結果だけで過去全体を無駄と決めると、私は動きにくくなります。モヤモヤを完全に解消する方法を探しながら、まずは目の前の問題に集中することを続けています。

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